社長コラム 六風詠草 「鬼の面」

202266多勢の職人達と接していると時々悩みを打ち明けられる事がある。仕事・家庭・体調・お金等々、内容は多岐にわたる。とても私などが解決してあげられる訳はない。

 私にできることは、せいぜい熱心に、聴いてあげることぐらいだ。相手の気の済むまで充分に話させる事にしている。アドバイスを求められればこれまでの経験や、見聞から醸成された私なりの考え方を話させてもらう。私も同じ様な悩みをくぐり抜けて、いや現在進行形で色々な問題を抱えて生活している。誰でも、一つや二つや三つは、これが解決してくれればいいのにと思う事は有るものだ。何も無いという人はごく稀で、殆どの人の人生は何らかの悩みや問題と、いつも一緒だ。

 相談されれば、私だったらこう考えるとかこうするだろうとかを話すしかない。内容が似た様な自らの体験で愚かな失敗談を、まず話す。自慢じゃないが、失敗事例には事欠かない私である。

 逃げ腰で安易な方法では必ず失敗したので、それはやめた方が良いと話す。その上で今の私だったら、こうするだろうと話す。聞かれれば、なぜそうするかという根本的な考え方、言うなれば私の苦難観とでも言った様な事を話させてもらう。

 人間には、幸せになる為にこそ、色々な苦難が用意されている。一見矛盾するようだが、私は真剣にそう考えている。訪れた苦難を、正面から受け止めて、一所懸命努力して、これを解決したときに、その人は大きく成長できる。心の根が深くなり、広く大きな器の人間となり、味わいのある豊かな心の「大人」に、一歩近づく事が出来る。そんな「大人」に成る事が、人間の究極の幸福の姿だと思う。

 幸運の女神が、ある人に幸せをもたらそうとするとき、まず苦難という鬼の面をかぶって近づいてくる。この時、逃げてしまったら、せっかく近づいてくれた幸せから逃げてしまうことになる。敢然と立ち向かい辛抱努力して乗り越えたとき、鬼の面が外れて、幸運の女神がニッコリと微笑んでくれるのだ。

 

  幸運の女神が鬼の面かぶり 吾(あ)に近づきぬ 苦難みやげに