社長コラム 六風詠草「レストランにて」

ƒvƒŠƒ“ƒg愛は真心、恋は下心とか言いますが、確かに文字の構成としては“愛”は真中に心があり、“恋”は下に心があります。表意文字としての漢字には納得してしまいます。

さらに、愛という字を良く見ると、「受」という文字の真中に心があるように見えます。つまり、相手の心を受け入れるのが、愛なんだなあと思わされます。私などは、日常、相手の心を受けきる度量が足りなくて、心も世間も狭くして生きているような気がしています。もちろん仕事の上では、お客さまの望んでる心を受け入れたいといつも思っているのですが、ひとたび、家族や職人さんたちのことになると、まだまだ、受け切れていない自分を反省するばかりです。特に家族に対しては一番狭い了見で接しているような気がしています。

  良き男 この世に数多(あまた)在るものを 吾を選びし 家族かなしき

 先日、昼食を食べていたレストランに、上品そうな老夫婦が入ってきました。私の席のすぐ前のテーブルに座るとき、夫は、さりげなく、奥さんの椅子を、引いてあげたのでした。

その仕草は、実に、自然で、物慣れている風で、また、奥様も、すかさず、ありがとう、と小声で、言うのでした。私は、よだれを、垂らさんばかりにして、見とれておりました。世の中には、こんなご夫婦も、いらっしゃるのだなあ、と感動してしまいました。老夫婦ですから、長年、こんな感じで、暮らしてこられたのでしょう。もう少し、続けて見てみましょう。

メニュウを見て「あなた何になさいますか」と奥さんから敬語で聞かれて、「私は○○にして下さい」とご主人も丁寧な物言いです。その様子は、このご夫婦にとっては、ごく、普通の日常ごとだというのが、分かります。私は本当に、深く感じるものがありました。

このご夫婦に比べれば、私のような者を一家の長としている、わが家族の事を思うと、なんだか申し訳ないような気になってしまいました。そんな気持ちが、前述の歌になりました。

 なにはともあれ、このご夫婦に次の二首を捧げます。

 

  食堂の伝票に一首認める 老いし夫婦の語らうを見て

 

  老夫婦 妻に敬語でたづねられ すぐ丁寧に夫は応える

 

(短歌では夫という字をつまとも読みます。認める→したためる)