社長コラム 六風詠草「母のビスケット」

母のビスケットクッキー

 川越のお客様の所に伺った帰り道、近所だったので、今では川越の代表的な観光名所となっている菓子屋横丁を、ひととき散策してみた。そこで、あの動物の形をしたビスケットを見つけて思わず少し買ってしまった。一つ口に入れた時、その懐かしい味わいが、幼い日のせつない思い出一杯にひたるきっかけになってしまった。

 私が漸く五才になったばかりの頃、母は重い病で臥せていた。妊娠して産み月とも重なり、母子共に助からないだろうと医者には言われている状況だった。戦後間もない東北の貧しい寒村の事、殆どの家庭で自宅分娩、自宅病死の時代である。幼い私が、チョロチョロと母の病床に近づく事は禁じられていた。母の病状が、危険である事は、皆の雰囲気で子供心にも感じていた。多い兄弟の中で私は七番目、ここで母に死なれてしまったら、上の兄や姉達に比べて母との接触が少ない自分は、余りにもかわいそう過ぎる。生きている母に会える最後の僅かなチャンスは今しかないのだと、幼いながらも、感じていた。もっと母の側に居たい。もっと母に触れていたい。幼いからこそ許されるであろう言い訳を考えて、何とか母の病床に近づこうと、私は必死だった。その手段として、母の枕元の鏡台の脇にある菓子箱に入っているあの動物の形のビスケットを欲しがるという口実を考えた。家族の目をぬすんでそっと母の傍らに寄ると、「なあに?」と苦しそうな息で尋ねる母に、小声で「ビスケット」と言う。母は余命いくばくも無い自分が、今、この子にしてあげられる精一杯であるかのように「全部あげるよ」と言った。

「ビスケットが欲しいんじゃないんだ」と心で叫びながら、私は一つだけ取った。ここに来る口実のビスケットを減らしたくないのに取らなければならない矛盾の中で、私はその一つを口に入れる。

一つしか取らない不自然さを隠すように私は、「もっとおいしいお菓子はないの」とすねてみせた。母は一瞬悲しそうな目をした。この子を含め、沢山の子供達を残して、39歳の若さで、この世を去らなければならないという状況の母に私は、何という残酷な事を言ってしまったのだろうか。この一点だけを、私は母の死後、何年にも渡って悔み続ける事となった。

 母は気力で男の子(今、66才で元気)を産みおとし、その二時間後、静かに息を引き取った。昭和二十三年、雨の降りしきる六月十四日の昼下がりだった。残された菓子箱にビスケットは、まだ沢山残っていた……。

  幼き日母にねだりしビスケットを 並べてありぬ菓子屋横丁

  いらぬ菓子ねだりつ母に触れたくて その病床に幼な子は寄る

重く病む母にただただ触れたくて小声で菓子をねだる幼子

幼な子は母にただただ触れたくて 病む床の辺に菓子ねだり来る